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アフガニスタン・パキスタン人道支援 プログラムアーカイブ

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アフガニスタン・パキスタン人道支援 プログラムアーカイブ

アフガニスタン・パキスタン人道支援

現地の声

祖国の未来のために ~教育に捧げた半生~

パキスタンでは現在、約160万人以上のアフガニスタン難民が生活しています。アフガニスタン難民は世界で最も多く、また長期化している問題と言われています。多くは北西部の難民キャンプやその周辺地域で、インフラも整わない中、困難な生活を余儀なくされています。AAR Japan[難民を助ける会]は、2011年から、パキスタン北西部のハイバル・パフトゥンハー州ノウシェラ郡で、アフガニスタン難民、その受け入れ地域の住民を対象に、生活環境の改善支援を行っています。

2013年、私たちはノウシェラ郡アコラカタックにあるアフガニスタン難民キャンプ内の小学校および周辺のパキスタンコミュニティにある公立小学校にて、教室やトイレの新・増築、井戸の設置、机やいすの提供、またこれらを利用する子供たちを始め、彼らを教育する教師や保護者への衛生啓発活動を行っています。

Qazi Ahmad Shahさん3校あるアフガニスタン難民キャンプ内の小学校の1つ、MSB-136で教師をするアフガニスタン出身のQazi Ahmad Shahさん(55歳)から、彼がこのキャンプに行きついた経緯やここでの生活について聞いてみました。

私は1979年にソビエト連邦がアフガニスタンに侵攻してきた時にパキスタンに避難してきました。私は首都カブールに住んでいましたが、この混乱の中多くの人たちが殺害され、逮捕され、今でも行方不明の人々は数知れません。私自身も抗議活動に参加したため、投獄されました。この時期パキスタンには突如として多くのアフガニスタン難民が逃れてきたため、難民キャンプでは援助が行き届いておらず、食糧を始め、衣料品、医薬品等が極端に不足しており、私も家族もとても厳しい環境で生活していました。子供たちや女性は劣悪な衛生環境に起因する皮膚病や下痢症に苦しみ、多くの乳幼児や妊婦たちが亡くなりました。この頃、アフガニスタン難民キャンプ内でもマドラサと呼ばれるイスラム神学校が作られました。私もここで教師になる試験を受け、様々な難民キャンプを転々とし働いてきましたが、家族と離れている生活が難しくなり、アコラカタック難民キャンプに戻ることになりました。ここでは当初、NGOによる地雷除去や地雷回避教育のトレーニングを受け、地雷キャンペーンに従事していましたが、10年前からはこのMBS-136にて教師をしています。

アフガニスタンの将来を担う子供たちと共に「どうして教師になったのですか?」という問いに、Ahmadさんは「教育を受けた子供たちは家族のためだけでなく、社会や国を良くするために貢献することができます。私は、自分が教えた子供たちが立派な大人になり、社会に貢献し家族を支えているところを見る時、自分の職業に誇りを感じます。」と言います。

またAAR Japanの行った衛生教育活動について「劣悪な環境に住むアフガニスタン難民にとって衛生観念を持つことはとても重要なことです。教師だけでなく、読み書きできない保護者たちにも分かり易い方法で非常に有益な情報を与えてくれました。」と話していました。また、「アフガニスタンの人々は"無学である"ことが全ての問題の根源にあり、社会や国を良くするためには"教育"が欠かせないことに今やっと気づき始めています」と、教育がアフガニスタンの将来のみならず、世界の平和のために欠かせないことを訴えます。

パキスタンで生活するアフガニスタン難民はアフガニスタンに帰還後、国の将来を背負っていく人たちです。私たち国際社会が、世界最大の難民問題を抱えるこの国の将来のため、学校教育環境の改善や質の高い教師の育成を支援することの重要さを、Ahmadさんの真剣な表情を見て再確認しました。

難民を助ける会(AAR Japan)