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アフガニスタン・パキスタン人道支援 プログラムアーカイブ

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アフガニスタン・パキスタン人道支援

2013年8月の関連ニュース

バーミヤンの俳句

セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンが活動しているバーミヤン州では、多くの方がご存じの通り、バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群が世界遺産(危機遺産)に登録されています。バーミヤンと言いますと、破壊された仏像のイメージが大変強いのですが、それだけではなく古代バクトリアにはじまり、仏教、インド、ヘレニズム、ローマ帝国、ササン朝ペルシア、イスラム教などの様々な文化が行きかった場所でもあります。

このように世界的な名所旧跡なので、日本の俳人の中にもアフガニスタンを訪れた方がいらっしゃいます。中村草田男や石田波郷とともに人間探究派の代表的な俳人として知られている加藤楸邨(かとうしゅうそん)(1905年~1993年)。彼は昭和四十年代後半にかけてアフガニスタンを旅し、その折にバーミヤンも訪問しています。そして、バーミヤンについて複数の句を残しています。彼の作った句を鑑賞すると、バーミヤンの冬は寒くて相当体に応えたのかな、と思います。ただ、今はその仏像もなくなってしまったのが残念です。

小さい大仏と大きい大仏

仏像遠景(右手が小さい大仏)

(前書)バーミヤンの夜 酷寒と不眠と
無限仏ゆるしたまへや薪ぬすみ

(前書)王女の城
残雪やチャドリの裾は手にかかげ(注1)

(前書)亡霊の丘
蒲公英(たんぽぽ)や亡霊の丘ふと日本語(注2)

亡霊の丘

最後の句で楸邨は何を伝えたかったのでしょうか。蒲公英という単語を現地で教わったばかりなのに、ふと日本語が出てきてしまったのかもしれませんし、地元の人に亡霊の丘と呼ばれる理由を聞いて松尾芭蕉の名句「夏草や兵どもが夢の跡」を思い出したのかもしれません。

【出典】森澄雄・矢島房利編『加藤楸邨句集』(岩波文庫、2012年)473頁

(注1)チャドリとは肩あたりまで覆う頭巾状のもの
(注2)亡霊の丘とはシャーリー・ゴルゴラの丘、叫びの丘とも呼ばれ、13世紀にチンギス・ハンによって全滅させられた城の廃墟。バーミヤンの中心地から徒歩20分くらいのところに位置している。