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アフガニスタン・パキスタン人道支援 プログラムアーカイブ

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アフガニスタン・パキスタン人道支援 プログラムアーカイブ

アフガニスタン・パキスタン人道支援

歴史的背景(パキスタン)

パキスタンの古代史は、現在でいうところの中央アジアやインド亜大陸の様々な文明や帝国による支配まで遡る。紀元前は何百年とインダス川の広大な流域に亘ってインダス文明が栄えるが、インドアーリア人、アケメネス朝ペルシャ、アレキサンダー王国等による侵入が続いた。その後、アジアとローマ帝国間での貿易がシルクロードで始まり、クシャーナ朝の下で仏教、学問、哲学、美術等が繁栄する。イスラム教国としての歴史はムスリム商人が現れる8世紀から始まる。

18世紀に入ると、ムガール帝国が滅亡し、大英帝国の直接統治が始まる。しかし、20世紀の前半から、大英帝国の配下にあった南アジアの国々から自治権の拡大を求める声が高まり、インドではイスラム教国家の独立を推進するムスリム連盟が1906年に設立される。1940年には、ムスリム連盟の指導者であったムハマド・アリー・ジンナーがラホール決議でヒンドゥー教徒とムスリム教徒の分離を要求する二民族論を主張した。1947年8月14日にようやく、イギリス連邦の自治領として「パキスタン」の国が樹立した。その直後に、カシミール地方の権利をめぐってパキスタンとインドの間で第一次印パ戦争が勃発した。

1956年に憲法の制定をもってイスラム共和国となったものの、1958にはアユーブ・ハーンによる軍事クーデターで軍政への移行が始まった。内政が不安定な時期が数年続き、1965年には第二次印パ戦争が勃発した。更に、現在のバングラデシュである東パキスタンでは反政府運動が高まり、政府の武力鎮圧に触発されて内戦状態となった。そこにインドが軍事介入し、第三次印パ戦争が勃発した。最終的にパキスタンが敗戦し、バングラデシュは1971年に独立した。

1972年から1977年の間はズルフィカール・ブットーの下で民政に再び戻ったが、その後ジアウル・ハックが軍事クーデターで政権を奪取した。この間、今までの世俗的な政策はイスラム聖法と取り替えられ、政治に対するイスラム原理主義の影響が増進した。ハックの死去に伴い、1988年にパキスタンは再び民政に戻り、ベナジール・ブットーが当選して初の女性の首相となった。しかし、政治的および経済的情勢の悪化が10年続き、1999年にはパルヴェーズ・ムシャラフによる軍事クーデターで再び軍事政権に戻った。2008年にはムシャラフが退陣し、文民の現大統領のアーシフ・アリー・ザルダリが就任した。

2001年9月11日のタリバーンによる米国への同時多発テロおよび米国のアフガニスタン侵攻以来、パキスタンは「対テロ戦争」の最前線になっている。アフガニスタンの国境沿いの地域では治安が未だに安定せず、何百万人ものアフガン難民や国内避難民がパキスタンで厳しい生活を送っている。アフガニスタンからアメリカ軍の撤退が始まる中、パキスタン情勢や政権が今後どう影響を受けるか注目されるところである。

【参考にした文献】
下中直人(2006年)「南アジアを知る事典(新訂増補)」平凡社