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アフガニスタン・パキスタン人道支援 プログラムアーカイブ

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アフガニスタン・パキスタン人道支援 プログラムアーカイブ

アフガニスタン・パキスタン人道支援

歴史的背景(アフガニスタン)

アフガニスタンはその地政学的理由から、長年にわたり他民族からの侵攻や他国からの干渉を受けてきた。現在のアフガニスタンが抱える諸問題は、こうした複雑な歴史的背景にも起因している。

1838年、バラクザイ王朝(1826-1973)下にあったアフガニスタンでは、ロシアの勢力拡大を阻もうとアフガニスタンに攻め入ったイギリスとの間で第一次アフガン戦争が勃発。数年に及ぶ争いの末、1842年にアフガニスタンはイギリスに勝利した。しかし、1880年に勃発した第二次アフガン戦争に敗れ、一時はイギリスの保護国となったが、1919年の第三次アフガン戦争に勝利し、独立を果たした。

王政が復活したアフガニスタンであったが、1973年にはクーデタ-により共和制に移行。また、1978年には再度クーデタ-により人民民主党による社会主義政権が樹立されたが、反体制派からの反発により、国内政情は不安定化していった。1979年12月には、米ソ冷戦の最中、社会主義の勢力拡大等を狙うソ連がアフガニスタンに軍事介入。しかし、ソ連侵攻に対して世界中からイスラーム義勇兵(ムジャヒディーン)が集結・抵抗し、8年間にわたるゲリラ戦が繰り広げられた。1989年2月、ジュネーブ合意に基づきソ連軍はアフガニスタンから撤退したが、アフガニスタン国内ではその後の主導権をめぐりムジャヒディーン各派が衝突し、内戦に突入した。そんな内戦状態のアフガニスタンにおいて、1994年頃から台頭したのがタリバンである。タリバンはイスラーム回帰を掲げ、1996年9月には首都カブールを制圧、1999年までには国土の9割を支配するまでに至った。

タリバン支配化のアフガニスタンは国際社会からは忘れられた存在となっていたが、2001年3月6日、タリバンは偶像崇拝の禁止を理由にバーミヤンの石仏を破壊し、再び国際社会の注目を集めた。そして、2001年9月11日、アメリカ同時多発テロが発生。アフガニスタンはその首謀者とされるオサマ・ビン・ラディンを匿っているとして、同年10月に米・英等による軍事行動が実施され、12月には北部同盟がタリバン支配地域を奪還した。

2001年12月5日、国連の調整のもと、アフガニスタン各派の代表がドイツのボン郊外に集まり、暫定政権の発足と今後の和平プロセスに合意(ボン合意)、2002年6月にはこの合意に基づき緊急ロヤ・ジルガが開催され、カルザイ暫定政権議長を大統領とする移行政権が成立。2004年1月には新しい憲法が制定され、同年10月9日に行われた第一回大統領選挙にてカルザイ大統領が選出された。2009年8月には第二回大統領選挙が実施され、カルザイ大統領が再選している。

長年の紛争が終わり、アフガニスタンは新しい国づくりに向かって歩み始めた。国際社会も大規模な復興支援に着手し、日本も2002年1月に東京でアフガニスタン復興支援会議を開催し、現在に至るまで主要な支援国としてアフガニスタンに対する支援を継続している。しかしながら、2012年現在、山積する国内問題やタリバンの攻勢により、アフガニスタンの治安は再び不安定化している。9.11の同時多発テロから10年が過ぎた現在、アフガニスタン復興支援は大きな節目を迎えようとしている。